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<ちあっぷのコラム>

店主が気まぐれに書いているタイについてのコラムです。
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Vol.8タイ人の宗教観」

今回のコラムは、いつもと違ってちょっとシリアスなお話、タイの宗教・仏教についてです!
 タイの街を歩いていて、「ここはタイなんだなぁ」と実感させる光景、それが「托鉢をするお坊さん」と「物乞いをするホームレス」です。
前者のお坊さんは、身体にオレンジ色の布を巻いたスタイルで…昔、「ビルマの竪琴」っていう映画あったの覚えてます?(店主の歳がバレまんがなっ!)あの主人公の水島上等兵のスタイルですね。早朝、表に出るとお坊さん方が鉄鉢を持って近隣の住宅や商店を廻り、食事や飲み物のお布施を受けて歩いています。
 一方、後者のホームレスは、街中のあちこちで見られ、歩道橋の上や電信柱の下のみならず、市場の通路のど真ん中で、小銭を乞うコップを額に乗せて大の字に寝そべっている両足のないおじさんなどもいます。そういう人を「邪魔だなぁ」と非難する人もなく、踏まないようによけて歩きながら、みな小銭を放り込んで行きます。
 広辞苑で調べると、托鉢、乞食(こつじき)、行乞(ぎょうこつ)などは、どれも仏教用語としては同じ意味になります。つまり、この「施し」の考え方は、タイ人の宗教観に基づいた常識になっていると言えるのです。金銭や食べ物など、現世で得た財を貧しい人やお寺に施すことによって徳を積み、業を減らす…タイ語ではこれを「タンブン」と言います。但し、店主の目から見て違和感があるのは、ほとんどのタイ人がご利益を期待してのタンブンに熱心になっていることです。「宝くじにあたりますように」「病気になりませんように」「カッコイイ彼氏ができますように」…そういった願い事がつきものです。悟りを求めて修行に励む北伝仏教(日本の仏教のルーツですね)を大乗仏教と呼ぶのに対して、現世ご利益や自己の解脱のみを考える仏教を批判的に小乗仏教と呼んだりしますが、タイの宗教は南伝仏教、つまりその小乗仏教に当たります。
 店主は、仏教国タイに住むようになってから、宗教観についていろいろ考えさせられました。物乞いに小銭を恵むのにはどうも抵抗がありますが、タイ人から見ると「金持ちの日本人のくせに」ととられます。物乞いか、はたまた裕福な日本人に生まれるかは正に神様の思し召しであって、われわれは与えられた立場を無条件に生きるしか道はないように思いますので、他人のモノをねだる乞食も、むやみに財を他人に施そうとする金持ちも、どちらも違う気がします。要は、他人との比較ではなく自分に与えられた立場や環境を受け入れて、自分自身を正して歩んでゆくことが重要だと思います。
 三戒というのがあります。自分自身の「思い・言葉・行い」を戒めることこそが正しい信仰に通じるということです。タイ人によくあることですが、タンブンには熱心にも関わらず、友人を罵倒したり、仕事を怠けたり、おつりをごまかしたり…道徳的観念に乏しい人がいます。そんなタイ人に、店主は「キッ・プーッ・タム ディーディー」(思い・言葉・行いを正す)と仏教用語で対応したことがありますが、タイ人は仏教国民であっても、この考え方にはピンとこないようです。
 ちょっと、シリアス過ぎた?じゃぁ、次回のコラムは、タイの一大勢力、オカマちゃんの生態についてお話ししようかしら!?

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